見えないかたち#4

御茶屋跡が存在する瀬戸内海を舞台に全く畑違いかもしれませんがやってみたい大きなことがあります。まだまだ力も知恵も及ばないのですぐというわけにはいきませんが、御茶屋跡には大きな可能性があります。出会って3年ですがなぜかいつも不思議な存在として未だ俯瞰的に見てしまいます。誰のモノでもないこの大きな屋敷は江戸時代に始まります。秀吉の朝鮮出兵によって途絶えた朝鮮との国交を回復させようと1607年、朝鮮王朝が江戸に派遣した朝鮮通信使が寄港した場所の一つが牛窓です。その際、御茶屋跡は接待の場所として使用し、学問や文化交流を深めたそうです。残念ながらその当時の建物は存在しませんが、明治初め同じ場所に、牛窓の町をlandscapeした元牛窓町長がこの御茶屋跡を再築されたそうです。この御茶屋跡はヨーロッパタイルやステンドグラス、モダンな意匠を巧みに取り入れ建築されています。その町長から2代目近海塩田会長へと受け継がれたとお聞きしています。初代、2代目ともこの御茶屋跡で著名人を集め明け方まで談話していたと地元の方々からお聞きしました。この御茶屋跡にふさわしいとは言い切れない僕が受け継ぐこととなり、その責任が重くのしかかります。ただ7年前初めて御茶屋跡の外観を見た時、初めて見た気がしなかったことを覚えています。なぜだかわからないままでしたが、2年前第1回目の企画展を開催した際、御茶屋跡に泊まり目の前の波止場の街灯の下で釣りをする人を見た時、幼少期を思い出しました。父とあの波止場で僕も夜釣りに連れて行ってもらったことを。その際必ず目に入る御茶屋跡が初めて見た気がしなかったのではないか。父はこのことをどう思っていたのでしょうか。今でも俯瞰的に見てしまうのは、幼少期見たあの景色のままなのでしょうか。牛窓のご縁、御茶屋跡のご縁はなんだか自分にとっては特別な何かのような気がします。


つづく。


by cg2006 | 2017-03-05 22:58